kotoko’s blog

映画や本の感想。「内容」にはオチまで書きます。

サーホー

『ミッドサマ―』以降、これしか観てないのか?!本当か?!さすがにそれはないだろう??と思いつつ、思い出せないので『サーホー』の感想だけでもメモ。思い出せなくなるからこその備忘録なのにね、ここ……。

 

インドの刑事映画。めちゃくちゃに面白かった。ちょっと長かったけど。以下、ネタバレ。

 

物語の中盤で、登場人物の立ち位置がぐるんと180度変わるの、すっごく楽しかった。映画の叙述トリック。私は映画の途中で話が急カーブして当初の想定と違う方向に走り出す作品がだあああああいすきなので(『フロムダスクティルドーン』とか)座席で拍手したくなってしまった。

ただ、いかんせん長い。インド映画なので主人公とヒロインが長々と歌って踊るのは良い。ああ、なぜこんなちょっと肉付きの良いおじさんがセクシーに見えるんだRedBull……みたいなのはとても良い。けど、セクシー主人公おじさんのかっこいいシーンが長すぎるんだよー。そこだけ。そこだけです。

 

緊急事態宣言が出る直前にみにいったと思うんだけど、みにいけてよかったな。

 

 

最近おうちでみた映画は、アマプラかHuluで何十年ぶりの『バトルロワイヤル』。三浦春馬さんが亡くなられた夜に。なんだろうな、何か、わかりやすく暴力的なものをみたくなっちゃったんだよね。

で、みてみたら、すっごい忘れていた。さすがに原作も何度か読んでいたから話の大筋は覚えていたんだけど、映画の細かい事なにも覚えていなかった。栗山千明柴崎コウもとても良かった。ビートたけし若い。GOGO夕張

深夜の3時くらいから見始めたから見終わった時には5時過ぎだったんだけど、家人が最後まで付き合ってくれた。

ずいぶん長い間何も書いていなかった。最近やっと本が読めるようになってきたので『ドロヘドロ』を完結までやっと読むことができた。『カササギ殺人事件』も読んだ。あまりに昔に読み始めていたので思い切って最初から再読した。

この、漫画ですらも読めなかった長い長いトンネルの時期はなんだったんだろう。『ドロヘドロ』も途中で放置し、『進撃の巨人』も放置し、『ブルージャイアント』も『F.F.S』すらも放置して過ごした数年間。軽いエッセイ漫画とネットの文章ばかりを読んでいたように思える。

トンネルの出口がテッド・チャンの『息吹』だったことは間違いない。寝る前に少しづつ少しづつベッドで読むうちに、なつかしの「読み終わるまで寝られない」状態になることができた。

今は『ベルリンは晴れているか』を読んでいる。トンネルの中にいる時には全然文章に集中することができなくて退屈な序盤だと思っていたのに、いままた最初から読み直したらとても面白い。

本当になんだったんだろう。

文字を読む速度は落ちたな、と思う。文庫本を一冊読み切るのに2~3時間かかってしまう。でもいいんだ、読書欲がもどってきたから。

思えば仕事を辞めてから本を本格的に読めなくなっていたように思う。電車の中で読み、昼休みに食事を取りながら読み、帰りに本を読むためにカフェに寄っていたのに、仕事を辞めてずっと家にいるようになってからは”本を読むための時間”を作るのが下手になってしまった。本を読まないでネットをみたりテレビをみたりしているだけなのにね。

そういえばめっきりネットもしなくなった。今文章を打ちながら、自分が自分の文章の書き方を忘れていることに気づいたよ。タイピングも遅くなった。気がする。

使わない筋肉は落ちる。

読書筋は取り戻してきたから、作文筋もいつか鍛え直したい時がくるかなー。くるといいなー。

ミッドサマ―

内容

ダニーには情緒不安定な妹がいる。彼女の不審なメッセージに落ち着かない夜を過ごすダニー。恋人に「どうしよう」と連絡をすると、恋人のクリスチャンは友人と楽しく過ごしている最中だった。帰りに寄るよ、と言ってくれるクリスチャン。ダニーは電話を切ってから「私って重い女じゃない?振られたらどうしよう!!」と女友だち(カウンセラーかも?)に電話をする

男友達と飲んでいるクリスチャンは、電話を切った後で友人たちに「もう1年も前から別れたいって考えてるだろ?」「他に女はいるぞ」と言われる。

悪い予感は当たり、ダニーの妹は両親を道連れに無理心中してしまう。狂乱するダニー。なだめるクリスチャン。

数日が経過し、クリスチャンの友人のパーティーにダニーは同行する。そこで知る、スウェーデン旅行の予定。自分は何も知らされていないことに激怒するダニー。当然の怒りだが、クリスチャンがげんなりした様子をみせると「行くのはいいの、でもそのことを言ってほしかっただけなの」と下手に出る。

クリスチャンはダニーに君も来るかと誘ってしまったと男友達に打ち明ける。「多分こないと思うけど、一応誘わないと、あ、誘うって言い出したのは君たちだってことにして」というクリスチャン。結局、ダニーは彼らと一緒にスウェーデンに行くことになる。

彼らを招待したスウェーデンが地元のペレ。各地の独自のお祭りを論文のテーマとしているジョシュ、お調子者で感じの悪いマーク、クリスチャン、ダニーの一行は、90年に一度の夏至のお祭りをするというホルガ村に到着する。

白い可愛い装束に身を包んだ人々、緑の豊かな土地、おだやかな共同体。そこには個人の家はなく、年齢と性別でわけられた生活空間と役割があるコミューンだった。

0~17歳の子ども期、18歳~54歳の旅人期、54歳~72歳の指導期(ウロ覚え)。旅人期の間、村の人々は外に出て学び、やがてこの村に帰ってくる。

村にはイギリスから来たサイモンとコニーもいた。

その日はダニーの誕生日だったが、クリスチャンはすっかり忘れていた。似顔をプレゼントしてくれるペレ。「時差とかでわからなくなってるんだと思う、気にしない」とダニー。クリスチャンは間に合わせの誕生日ケーキを用意してくれる。

ホルガ村の独自の慣習に従ってすごす一行。祭事の一日目の朝、彼らは72歳を迎えた村人が次なる命につなぐために自ら崖から落ちる儀式を目にする。動揺し、すぐに帰ると騒ぎ立てるサイモンとコニー。動揺はするが、これを忌むべきものとするのは彼らの文化への侮辱だとする研究者のジョシュとクリスチャン(マークは腹痛で居合わせなかった)

村に戻ると(翌日だったかも)コニーが騒いでいた。帰るための車に乗って、サイモンだけが先に村を出たと告げられたのだった。コニーを落ち着かせて連れていく村人。

動揺するダニーを、村の人たちは食事の支度をする女たちのもとへと連れていき、一緒に食事作りを手伝わせる。

一方で、村の娘にあきらかに好意を示されるマークとクリスチャン。調子に乗ったマークは食事の最中に娘の誘いにのって席をはずす。

先祖が宿るとされているご神木におしっこをして激怒されたマーク、研究することは許可されたけれど、写真に撮ることは固く禁じられた聖典を夜中にこっそり写真に撮ったジョシュが次々といなくなる。

ダニーは村の娘たちのダンス競技に参加する。最後まで倒れずに踊り続けることができた娘がメイクイーンとなる。優勝するダニー。御輿に乗り、花の馬車に乗り、儀式へと向かう。

クリスチャンは好意を寄せられた娘の手引きに従ってまた違う儀式に参加してしまう。村の年長の女たちに見守られながらするセックスの儀式。

ダニーはそれを覗き見てしまう。号泣し嗚咽するダニーに同調して泣き叫ぶ村の女たち。

意識を失ったクリスチャンが気づくと、声も出せず、体も動かせない状態になっていた。中央には祀り上げられたメイクイーンのダニーがいる。夏至のお祭りには9人の贄を捧げるという村人。4人は外から(サイモン、コニー、ジョシュ、マーク)、4人は中から(儀式で飛び降りた老夫婦、志願者の2人)、残りの一人は、志願した村人にするか、クリスチャンにするか、メイクイーンが選ぶと告げられる。ダニーが選んだのはクリスチャンだった。

熊の生皮を着させられるクリスチャン。村の一番奥にある黄色い三角の小屋に、サイモン、コニー、ジョシュ、マークがそれぞれ意匠をほどこされて運び込まれる。老夫婦の死体、中央に熊をかぶったクリスチャン、脇に志願者の村人2人。

やがて小屋に火がはなたれ、痛みも恐怖も感じないという薬を舐めた志願者の2人も痛みと恐怖で叫びだす。共鳴して一緒に泣き叫びだす村人たち。ダニーは、燃え盛る小屋をみて泣き叫びながら、そっと微笑んだEND

 

感想

いやーーー。ものすごく嫌な感じだった!!とにかく前半のダニーとクリスチャンの男友達の感じがしんどくてしんどくて、でも、じゃあ、最後のあれで「ざまあみろ」とかスッキリとかするかというと、私はしなかったので、嫌な感じだったとしか言いようがない。

あれが救済の一種なのはわかる。すごくわかる。理屈としてわかる。共感や共鳴は人を救うし、あの社会の中であれで問題がないなら問題はないのだ。わかる。

でも、やーーだーーーー。

メイクイーンを決めるダンスで、くるくる回っているうちに楽しくなってきて、私残ってる!!ってクリスチャンをみたらクリスチャンは他の人をみていたときのダニーとか、ほんと、そういう瞬間に心は死ぬよね、という、そういうリアルな感情の「嫌さ」が終始つきまとっていた。

クリスチャンもしんどいよなー。男友達に対するあの言い訳の数々。でもダニーにも冷たくはしない(無意識に大事にしていない感じは出ちゃう)。薬盛られてあそこの血を飲まされて見られながらセックスして、生きたまま熊の生皮の中で焼かれて死ぬんだよ。そこまでの悪行か?と思っちゃうのはミソジニーに私の脳が侵されているからか???

あと、BGMも気持ちを不安定にさせる!!きちい!!

パラサイト

内容

半地下の家に住む主人公家族。裕福ではないが、仲が良い。PC画像ソフトを使いこなす賢い娘。料理のうまい母。頼れる父。大学に進学したかったけど経済的にできなかった息子。

ある日息子の友人(大学に進学した)が裕福な家の家庭教師のアルバイトの話をもってくる。面接に行くと気に入られ、裕福長女の家庭教師の座におさまることができる。数日後に裕福弟に絵の先生を探していることを知った息子は、自分の妹を優秀な教師として紹介する。彼女もまた絵の先生の座におさまることに成功する。そうして、父は運転手、母は家政婦として、主人公家族は全員が裕福一家に雇ってもらうようになる。

裕福一家が裕福弟の誕生日祝いにキャンプに行き留守になった夜、主人公一家がみんなで裕福家のリビングで飲み食いしているとインターフォンが鳴る。モニターにうつっていたのは、母親が入り込むために辞めさせた前任の家政婦だった。

大雨でずぶぬれの哀れな家政婦を、現家政婦の母は、つい家に入れてしまう。彼女は一目散に地下の貯蔵庫へと入っていく。そこには棚で隠された隠し扉があり、さらなる地下へと続く階段があった。家政婦はその家主も存在を知らない地下のシェルターに夫を住まわせていたことがわかる。現家政婦に「夫だけは住まわせてやってくれないか」とすがる元家政婦。そんなことできない、すぐに雇い主に報告するとつっぱねる現家政婦。だがそのもめごとの最中に、様子をみにきた主人公一家が物音をたててしまい、取っ組み合いの末に元家政婦に「この家の家庭教師と絵の先生と運転手と家政婦は実は家族だ」ということがばれてしまう。

リビングで元家政婦夫婦にいいように遊ばれる主人公一家、そこに家主一家が帰ってくると電話が入る。大雨でキャンプは中止になったのだ。元家政婦たちを地下に蹴りこみ(このへん記憶が曖昧)散らかしまくったリビングのゴミをテーブルの下に放り込むあたりで帰ってきてしまう裕福一家。リビングのテーブルの下に隠れた息子、娘、父親。家政婦の母は台所で麺を作る。

裕福弟は天真爛漫に庭にテントを張ってそこで寝ると言い張り、裕福夫婦は庭が見渡せるリビングのソファで今夜は寝ようと決める。すぐそばのテーブルの下に息をひそめている主人公一家「運転手はとてもわきまえている。だが、匂いが我慢ならない」と妻に話すのを聞いてしまう。

夫婦が眠った隙になんとか家を脱出する3人。雨は濁流になって低いほうへ低いほうへと流れていく。その水の流れを追いかけるように帰宅すると、半地下の家は半分水没していた。

地下の元家政婦は階段から転げ落ちた際の打ちどころが悪く、亡くなってしまう。怒り、悲嘆にくれた夫は地下から玄関の明かりでモールス信号を送る。が、その信号はテントで眠る裕福弟にしか届かない。

翌日は晴天の下、裕福弟の誕生日パーティーが開かれる。運転手の父もインディアンに扮装して参加させられる。客として招待された娘は母と地下の2人に食べ物を届けようと相談し準備をする。息子は地下の2人のことがどうしても気になって地下への扉をあける。そこには怒り狂った元家政婦の夫がいる。

息子は地下の貯蔵庫で夫に頭をメッタ打ちにされて倒れる。食べ物を運ぼうとしていた娘は呼び止められ、裕福弟にケーキを運ぶ役目をおおせつかう。刃物を手に入れた元家政婦の夫は、にぎわうパーティー会場へと向かう。憎い一家を探す目がケーキを運ぶ娘をとらえ、手にした刃物で胸をひとつきにしてしまう。一瞬で大混乱となるパーティー会場。元格闘家の母親は元家政婦の夫の攻撃をかわし、娘へ駆け寄る。インディアンの扮装で茂みに隠れていた父親は、元家政婦の夫の刃物を取り上げ逆に彼を刺し、その後その刃物を雇い主であった裕福な父親をも刺す。

数日後、ベッドで目を覚ます主人公息子。頭を強打していたけれど命は助かったことがわかる。娘は死亡。母親と息子は起訴されるが、内容は公文書偽造等の、軽微な罪状だった。父親は指名手配されているが行方はわからない。

ある日息子がかつて勤め先だった裕福な家を眺めていると、玄関のライトが不自然に点滅していることに気づく。父親は例の地下室に逃げ延びていたのだ。お金持ちになってあの家を買い取ることでお父さんを迎えに行ける、とその日を夢想してEND

 

感想

面白かった。上に書いていない色々な描写が細部まで無駄なくつながっていて、とても良かった。

主人公一家の父親はどうやら流行の商売に手をだしては機を逸していて失敗するパターンを繰り返して貧乏になっているらしく、フライドチキン屋、カステラ屋と日本にいても耳にしたような流行を追っていたんだけど、地下の元家政婦の夫も同じ商売に手をだして失敗してこうなってしまったことがわかった時にはシンパシーを抱いていたし、お互いを心底から憎んではいないのが伝わってきた(それが殺すほどの殺意につながるのは家族を殺されたから)

そういったシンパシーの真逆にいるのが裕福一家の主人で、評価はするけど一線は絶対にこえてくるなよ、というのが明確で、奥さんのわがままに付き合うのも大変ですね、みたいなちょっとプライバシーに踏み込んだことを言うとスッと引いて「これはビジネスだぞ」と跳ねつけるのが、とても残酷で、だからこそ最終的な殺意にも納得がいった。

臭い、は、ものすごい侮辱だよね……。でもすごくわかる気がする……。

あと、上の内容にまるっと書いていないのだけど、裕福娘と主人公息子の恋愛も結構よかった。というか、主人公息子をあの混乱のなかでかついで逃げる娘が逞しくてすごくすごくよかった。(息子は地下室の扉が開いている状態で貯蔵庫に倒れていた気がするから、彼女が救出した時には扉が開いていたんじゃないのかなー???という疑問はある)。息子に家庭教師の話をもってきた友人がそもそも彼女と結婚したいと言っていたけれど、彼らは付き合っていたんだろうか?それとも片思いなんだろうか??彼がくれた石の意味もあんまりよくわからなかった。お金持ちがくれたからといってただの石を後生大事にすることの無意味さ??

そういえばこの母親はものすごく子どもたちを持て余しているというか、息子も元家政婦のほうになついているようだったし、絵の先生として入った主人公一家の娘にだっこされて大人しくしていたし、わが子との距離の詰め方がわからない感じがあって、頭でっかちな感じなんだなーと。でもお金持ち一家も悪い人たちではないんだよな。すごく素直で優しくて。

言い尽くされている話なんだろうけれど、お金持ちの一家に寄生して生きる貧乏な主人公家族の話、でありながら同時に、彼ら下働きの人たちがいることに依存して生きるお金持ち一家の話でもあった。

水があふれるトイレの上に座ってタバコを吸う主人公娘の姿がすごく良くて頭に残っている。賢い子なのに死んでしまって悲しい。多分この主人公の男の子がお父さんを迎えに行く日は来ないんじゃないかな……。

みたものメモ

スターウォーズep9

ここまでの壮大なサーガの最後がこれかぁ……という感覚。つまらなくはなかった。けど、なんだろうこの小手先感は。小さく終わったなぁ、という。10分前に出てきた伏線回収するの繰り返しだね、みたいな。シーン的にはぐっとくるところもあった。ランド!お前はランド!!とか。ランドとチューイでファルコン号とか。一番良かったのは、レイアが亡くなったと聞いた時のチューイの慟哭。カイロレンも相変わらず良かった。あなたはそうなるって思ってたわ……。ただ、最後にレイとチューしたのは納得いってねーぞ!!(というかフィンの元に唐突に現れたあの女の人はなんなの、ランドと旅に出ようみたいなこと言ってたけど、フィンはレイが好きなの?何を伝えようとしていたの?フィンとレイがくっつくかわからないように出したのが彼女なの?浅くね?)

パルパティーンを倒せば終わりってなるのも、なんだかなぁ。そんなにも個人によるものだったのか。そして帝国軍のストームトルーパーたちは色んな星からさらわれてきた子供たちがなってるんだよって描写をしておいて容赦なく艦隊ごと撃沈してぶち殺していくスタイルが、そこを描写しておきながらそういうことするんだ、戦争だね……と暗澹たる気持ちになりました。

あの、画面いっぱいに味方の色んな船が集まってたシーンは、なんかもうちょっと笑っちゃった。感動とかじゃなく。

一人っ子の国

かなり衝撃的な映画だった。アマプラでなんとなく鑑賞したらすごい作品だった。何十年も前の話ではないっていうのがすごい。一人っ子政策が終わったのが2015年。そんなに最近まで強制的な中絶や不妊手術が行われていたの?赤ちゃんの売買とつながって?

一人っ子政策時代の中国のすさまじい政策遂行っぷりに、自分がいかに何も知らずにいたかを思い知らされた。

監督で1人で撮影し続けたワン・ナンフーさんが自分の地元で取材をしている時に、「あら久しぶりねえ」って歓迎してくれた地元のおばさんたちが、ワンさんが「当時不妊手術や中絶を体験した人に話を聞きたい」って言った瞬間に顔をこわばらせて「あなたの母親に害が及ぶわよ」とか「彼に迷惑をかけないで」と言い出すのが本当に怖い。

そして、当時その政策を推進した人も、それに本心では反対だったけど協力した人も、中絶をし続けた助産師も、子どもを奪われた人も、全員が声をそろえて「仕方がなかった」ということの恐ろしさ。でもきっと私も同じ環境におかれたらそう言う。他にどうしろと?

少子高齢化が洒落にならない中国、今は子供は2人産みましょう政策らしい。

町山さんの紹介があった。わかりやすいなー。

https://miyearnzzlabo.com/archives/59301

屍人荘の殺人

原作も好きだったんだけど、映画も超良い。特に明智先輩が良い。どちらかと言えば神木くんを目当てに行ったのだけど、中村倫也が良い。ずるい。あと、比留子さん役の子がとても良かった。絶妙。あの衣装であの話し方で、とっても二次元的な人物描写をされている子なのに、寒くならないラインできっちり可愛く作っていた。すごい。物語の足し算引き算も、映画化として完璧。

IT(後編)

原作大好き『IT』。生まれて初めて本を読みながら手と足に冷や汗をかいた『IT』。原作の壮大さを少し小さくした映画版は、これはこれで。本当はこの子にはこういうことがあって、この子にはこういうことがあったんだよって映画だけみている人たちに言って回りたいけどできないので、原作読んでねという気持ち。

ああ、しかしベバリーが服を脱ぎ捨てて川に飛び込むシーンのまぶしさよ。あれだけで映画に価値があるよ。

ターミネーター ニューフェイト

T2の正当な後継作、みたいなうたい文句。うーん、そうか。お前ら、サラ・コナーが強くてかっこよかったらなんでも許せるんだろ?はい、まむ。途中にはさまれていた、ジョンを失った世界のあの映像はCGなんでしょうか。ツイッターは百合だ百合だと騒いでいましたが、私はあの関係性を百合って言葉にまとめてしまいたくはないなと思ったよ。

空の青さを知る人よ

時間が経過しすぎてもう記憶がだいぶ薄れてしまった反省。とても良かった。岡田磨里に間違いはない。両親を失った姉妹が生きる田舎の町に、あの頃好きだった姉の彼氏が戻ってきた。なぜか、あの頃の姿のままで、というSF。妹の、自分がいるから姉はあのとき彼についていけなかったんじゃないか、自分の存在が姉をこの町に縛り付けてるんじゃないか、という慟哭が胸に突き刺さる。でも私はもうお姉ちゃんより年上だから、違うんだよ、違うんだよ、自分を責めなくていいんだよ、という気持ちになる。

そして大きな夢をもって東京にいって、バックバンドのギタリストになっている慎之介の描写の繊細さ。ソロデビューした音源をあかねちゃんが聴いてたって時の、あの空気。

岡田磨里に間違いはない。

ジョーカー

時間が経過しすぎて(ry。

みながら、早く、早くブチ切れて何もかもを破壊しつくしてくれジョーカー!!!と思っていたことは覚えている。あと冒頭の看板を盗まれた時の不器用さというか、やり場のなさ。私は素直なオーディエンスなので、まんまと「でも、でも彼女がいてくれてよかった、ちゃんと味方がいてくれてよかった」って思っていたので、違うとわかったときに「のおおおおおおおおおおお」って気持ちになりました。えーんえーん。

で、最後の最後にジョーカーが自分のことを語るシーン。ここまで、彼の語りだったのですね、信用できない語り部、ジョーカーの。というかっこよさ。みんな大好き階段のシーンといい、忘れたころにもう一度みたい映画。(いますぐもう一度みるのはしんどい)

ミュージカルテニスの王子様3rd SEASON 全国大会決勝 青学vs立海 後編

はい、3度目の全国大会決勝戦。いよいよクライマックス。初日に行きました。

あと何度か見たいと思っているので、今時点で覚えていることだけを書きます。

まず、1stSからの曲が多かった。古参としては熱いものがありました。いや、そんな簡単な言葉じゃない。昔の曲をやってくれると嬉しいのはなんでなのか、ただ感傷的になるからなのかと思っていたのですが、今回くっくりと、違うと気づきました。

それは日吉が「げーこーくじょうだぜー」と歌いだした時

それに対してリョーマが「げーこーくじょーってーゆーけーどー」と返した時

ああ、この歌をもう一度目の前で生で歌ってくれるシーンをみれるなんてなんて嬉しいんだ、という歓喜が胸に満ちまして。もう二度と本編内で聴くことはないんだろうと思っていた歌が目の前の役者さんによってきちんと歌われるという喜び。これは単純な歓喜なんだ、と。

そしたらしばらく後に三浦跡部がシーズンのラランラーを口ずさんで現れて、なんかそれは受け止めきれなかったというか、その曲までも?!?!?!ってなっちゃったんですけれども。

ツイッターの感想で、でも3rdSの日吉とリョーマの記憶はそれじゃないはずなのに、みたいなのをみて、ああ、それもそうだなぁと思ったりもしたのですが。私はとってもとってもとっても嬉しかったのです。

で。もうひとつ印象的だったのが、金ちゃんが幸村とのラリー対決を申し込むシーン。これまであそこは割と流れるシーンのひとつだったというか、お調子者の金ちゃんが幸村に無邪気に申し込んで幸村も時間稼ぎとわかりつつ受ける、っていうだけのシーンとして私は捉えていたのですけれど。今回の演出でその深さがぐぐっと変わりました。

リョーマは記憶を取り戻しつつあるけれど間に合わない、不戦勝だと沸き立つ立海、どうにもならないんじゃないかという緊迫感の中に飛び込んでくる金ちゃんが、とっさに叫ぶ「わいとやろうや!」という言葉に、一瞬凍り付くコート。青学も立海も一瞬ひるむというか、「え?」って空気になるんですよね。そんな空気を読まない金ちゃんの袖をひっぱる白石も本気に見える。でも、金ちゃんが必死に、なんとかしようと叫んだんだってことが痛いくらいに伝わってきた。空気を読まなかったんじゃなくて、必死にどうにかしようとしてくれたんだってことが。そして、それを受ける幸村の心意気も、しっかり伝わってきた。

ああ、三浦さんの演出って素晴らしいなあ。このシーンにこんな良さがあるって、わかってなかったなぁって、3度目にしてまだ新しい感覚があるんだって、感動しました。

 

あとは多分、青学以外の卒業式と、その後ですよね。あのへんは泣きながら、でもなんかちょっと感傷的に過ぎるというか、いや、嬉しかったんですけど、うん。長いなって、ちょびっと思いました。立海の女なんだけど。わたし。

 

青学の面白私服大会が、そんなでもないなー、愉快な巻物を首から下げてる不二が愉快なくらいだなーって思っていたら、今回の立海がとんでもなく面白かったというか、まともなの仁王くらいでは?え?まじ?最高じゃねーの……って感じだったので、はやく心の瞼に焼き付けにもう一度劇場に行きたいです。

NARUTO 暁の調べ

そんな状態で行くなよと言われるかもしれないのですが、原作ミリしらだってばよ(NARUTOに関する唯一の知識)で行ったからか、なかなか厳しかった……。過去に上演した2本分を1本にまとめたものだと思うんだけど、なんかこう、なんかこう、私を置いて物語が勝手に進んでいくなーというか。上映時間が長かったこともあって、かなりしんどい時間でした。

実はテニミュも原作を知らずに通い続けて15年なんですが、テニミュは楽しいんですよ。初見から楽しかったの、ずっと。なのになぜNARUTOは楽しめないのか。ブリーチも知らずに行ってて楽しかった。なんでなんだ……。物語があるからこそなのかな、と漠然と思っているのですが、各人の心境とかよくわからないままに進んでいくというか、お話の上澄み部分だけをなぞらされている感じがしたのですよねーーー。こうこうこうだから、こうなって、こうで、こうで、こうなって、こうだから、こうで……という山もオチもよくみえない話を一方的に聞かされているような。

多分原作ではきちんと語られているのだろうし、そこを自分で埋められる人には良いんだろうな、と思います。私には向いてなかった。行ってはいけないやつだった。

帰り、劇場を出る時に感動して泣いている海外からのお客さんを見かけたので「ああ、ファンにはすっごく良い舞台なんだな」って思ってほっこりして帰りました。