シン・エヴァンゲリオン
エヴァ、公開初日初回に観に行ったのに感想を書いていなかった。人の影響を受ける前に書かないとね、と思ってメモったふせったーとついったーをせめて貼っておこう。
普段は走らない裏道を駆使して上映開始時間過ぎて到着して半泣きでチケットもぎりの人に「本編始まりましたか」って聞いたら「あと2分です!大丈夫!」って力強く送り出してもらえた。始まってたら諦めて夕方出直すつもりだった。
— あっこは水着アビーを呼んだ (@akkkkkkkkkkkko) March 8, 2021
私の膀胱は広大なのでビクともしませんでした。
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私は見終わってすぐ帰宅してMTに備えるべきところをスタバに入って熱いコーヒーとスコーンをいただきましたよ……
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本当は海とかいってタバコ吸いながらしばらく眺めたりしたかった。
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はーーーーー。なんだろうな、この、「全てが正しきところに収まった感じ」の、終わった感と、それでいいのか感。ちゃんと終わらせて偉いな、と、そうじゃない何かを期待していた、のはざまに、ずっといる。
エンドロールが途中からbeautiful lifeになった時に泣けて来た。ああ、終わったんだ、と思って。スタッフロールは中央で光ってなくて淡々と流れていて。序を見た日のことを思い出して泣いた。台風の日で、弟と衝動的に行ったんだ。
エヴァ感想アホアホ部あの起動させるとなんか周囲が汚染から守られる「人類の言語で制御しようというのが土台無理」みたいな便利装置はどこからきたなんなんですかね……アスカがちっこい版を目から出してたから使徒の...使徒の......?
あと、心狭い部門の感想として、エヴァ作中で出てくる絵本がモヨコの絵本だったことは許せない気持ちがあります
エヴァ映画は1人で観て正解だったなって思ってる。観終わってから映画に関する第一声を発するの、よほどの以心伝心じゃないと怖いし、人としゃべることで外郭を持つ感想が怖い。相手の言葉が自分の感想の外郭になることも怖い。
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同行者がいたら、相手はどうだったのかをものすご~くさぐってしまうなって思います。終わった時の言語化しにくい感情の機微みたいなものが、その「さぐり」で消えてしまうのももったいないな、とか思ったり。
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私も「そうでない人」のことを考えてしまっていて、そこに寄り添うのは細田監督で、突き放すのが庵野監督だと、20年前には思っていたんですよね……サマーウォーズをみるまではね……。
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忘れないうちにメモマリがアスカの髪の毛を切るシーンがすげえ良かった
マリがアスカを姫呼びすることは若干引く気持ちでみてるんだけど、でも、マリがいてくれれば大丈夫!きっとマリはどうにかしてくれる!って思えるのはすごい。なんでそんなにマリの強さを信じているのか、私は。でもマリは絶対にシンジくんを迎えに行ってくれるって信じて安心してみてた。
あと、あの、ものすごく思った事なんで言いますけどユイ、なんなんだよお前
ミサトには加持くんがいて、子がいたけど、それを最後に託すのはりっちゃん。アスカにはかつて加持くんがいて、今ケンスケがいるけど、心の奥のやらかい場所を分かち合ってるのはマリ。それでいい。
命を預けたのは、誰にだっちゅー話。
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それで十分だと思うんだよ。
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映画単体として面白かったかというと、実は話は面白くなかったように思う。とにかく説明だったから。ただ、とにかく「終わった」。どうなるんだ、どうなるんだ、と思いながら画面を見つめ続けて、「終劇」の2文字にふーーーーーーっと大きく息を吐いた、そういう体験をさせてもらった。
映画を見た直後はなぜかとにかくアスカとマリだったんだけど、NHKのプロフェッショナルも観た上で、映画をみてから一ヶ月が経過した今、色んな人の感想とかみていて思うのはやっぱりシンジくんのことでありエヴァンゲリオンとはなんだったのか、みたいなことで。
破からQへの14年のタイムラグをシンジくんは無理矢理乗り越えなくてはいけなかった。そしてビックリするくらい成長(あれを成長と呼ぶのかは不明)した。
私たちはその間、ヴィレや村の人たちと同様、とにかくこの現実の中で生きた。
それぞれが「現実で生活した」上での(それは当たり前に庵野監督もわかっている)シンジくんの「エヴァのいない世界」という答えは、生きながらえてしまった私たちへの生きることの肯定、何も起きない現実世界の肯定だと私は思う。(つまらん結論だな、とも思うんだけどそれはさておき)
旧劇場版のラストが客席にいるオタクたちの顔ではなく、なんらかの方法(withoutマリで可能だったとは思えないけど)でストーリーの中で表現された「現実にかえろうぜ」だったとして、果たして受け入れられたか、ここまでのアニメになったか、というと、違うと思う。
エヴァは完結した。終わったんだなぁ。