kotoko’s blog

映画や本の感想。「内容」にはオチまで書きます。

ミナリ

あらすじ

韓国からのアメリカ移民の話。50エーカーの農場を持つことを夢見るお父さんジェイコブは、家族を連れてカリフォルニアからアーカンソーに引っ越してくる。新しい家がトレーラーハウスであることに喜ぶ子供たちと、話が違うと憤るお母さんモニカ。

水を出すためにダウジングをすすめてくる業者。ただの木のダウジング棒がめちゃくちゃ高いことに「韓国人はちゃんと理屈で考える」と自分で井戸を掘る場所を決めるジェイコブ。無事に水が出て、畑を開墾する。

近所のヒヨコの雌雄判別所(?)で夫婦で働きながら、ジェイコブはがんばる。そこにトラクターを売りに現れるポール。身なりは汚く、どこか普通ではなく偏執的な感じがして怖い。

心臓の弱い息子デイヴィッドと娘アンの面倒をみながら仕事もすることに疲れたモニカのためにジェイコブはモニカの実母スーンジャを韓国から呼び寄せる。大量の香辛料と漢方薬花札をもって現れるスーンジャ。

子ども二人は祖母を「韓国臭い」などと言って嫌がるが「おばあちゃんらしくない」スーンジャに、やがてなついてゆく。スーンジャは心臓の弱いデイビッドに「strong boy」と呼びかけ、清流にミナリ(セリ)を植える。

ポールの協力もあって、ジェイコブは畑で作物を作ることに成功する。

圧倒的な孤独と貧困の中で、家族以外との交流を求めてモニカは教会に行きたがり、家族で行くことになるが、そこでも安寧を得ることはできずに終わるが、デイビッドは友人を得る。帰り道、一家は十字架を背負って歩くポールをみかける。それが彼の信仰の在り方だった。

あと少しで収穫というところで、ジェイコブの畑は井戸の水が枯れてしまう。お金のかかる公共の水道水で水やりをしてしまい、やがて水道を止められてしまう。約束していた店に納品ができなくなったりと、先行きは暗い。

一家はポールを夕食に招き、ポールは謎のお祓いの儀式をしてくれる。

祖母と寝ているデイビッドは夫婦の不穏と未来の暗さを感じ取り、夜中、死ぬことが怖いと泣く。「大丈夫」と抱きしめてくれる祖母。デイビッドが目覚めるとオネショは治っており、かわりに祖母スーンジャに異変が起きていた。

祖母と両親が病院に行く間、アンとデイビッドは二人で教会に行く。その帰りのバスで、十字架を背負って歩くポールが子どもたちに悪し様に言われていることを知る。

友人の家で、デイビッドは前の農場の持ち主が水不足による作物の不作が原因で自殺していたことを知る。

デイヴィッドの病院に行くときにも、納品先を求めて野菜の箱を持っていくジェイコブ。モニカはジェイコブに「農場をやっていってうまくいくと思えない」「あなたは家族よりも農場を優先している」と別れを宣言する。

その矢先、病院でデイビッドの症状が今の環境のおかげで好転していると告げられる。また、野菜をもっていった新しい店が野菜を仕入れてくれることになる。

うまくいきそうだ、と前向きな面持ちで帰宅する一家の目の前に黒煙があがる。役に立ちたい一心でスーンジャがゴミを燃やそうとして誤って野菜の積まれた倉庫を火事にしてしまっていた。

必死で野菜を運び出そうとするジェイコブとモニカ。しかし無情にも火はまわり、ほとんど運び出すことはできない。ふらふらとどこかに歩き出すスーンジャ。孫2人が行く手を遮り「帰ろう」という。

水の出る場所をダウジングで探す男と、それに付き添うジェイコブ&モニカ。

 

感想

つい先週みたのに、もう物語の時系列があやふやだなー。でも大体こんな内容だった。

底抜けに優しくて、ちょっと独特の匂いがして、絶対に味方のお婆ちゃん、ああ、そう、おばあちゃんって、こういう感じ。そのおばあちゃんが取り返しのつかない火事を招いてしまうことがとてもきつかった。

でもそれによって火事から必死で野菜を救出しようとするところにつながって、デイビッドの体のためにもモニカは出ていかない結論になるんだろうな。

韓国の人とキリスト教というイメージがなかったので「教会に行きたい」と言い出した時には「へえ」と思った。工場の同僚のおばさんが「このへんにいる韓国人はみんな何らかの事情があって教会に行きたくない人たちよ」というのも「そんなにみんな行くものなんだ」と驚いた。

ポールがとにかく不安で、偏執的な感じはあるし、お祓いしたり虚空に呪文を言ったりするし、でも優しくて献身的で、なかなか安心できなかった。最終的に彼のおまじないや、ダウジングに頼るようになった夫婦がオカルト寄りになっているようで衝撃的だったのだけど、それでも結果的に幸せになればそれでいいのかもしれない。

なんだか色んなことを感じる映画だった。

デイビッドに不幸になってほしくなくて、同時にアンの描写がほとんどないことが不思議で(あらすじを書いていても書くことがほぼない)、みおわってから解釈を求めてネットをさまよってしまった。

ツイッターに書き散らした当時の感想

 雄のヒヨコはいらないから燃やしている、男は役に立たなければいらないんだ、と息子に教えるシーンとか、子どもに尊敬される父親になりたいんだ、とか、そういう、韓国の家父長制の話でもあったんだろうな。おばあちゃんも「母なるもの」の上位だもんな。