kotoko’s blog

映画や本の感想。「内容」にはオチまで書きます。

ミッドサマ―

内容

ダニーには情緒不安定な妹がいる。彼女の不審なメッセージに落ち着かない夜を過ごすダニー。恋人に「どうしよう」と連絡をすると、恋人のクリスチャンは友人と楽しく過ごしている最中だった。帰りに寄るよ、と言ってくれるクリスチャン。ダニーは電話を切ってから「私って重い女じゃない?振られたらどうしよう!!」と女友だち(カウンセラーかも?)に電話をする

男友達と飲んでいるクリスチャンは、電話を切った後で友人たちに「もう1年も前から別れたいって考えてるだろ?」「他に女はいるぞ」と言われる。

悪い予感は当たり、ダニーの妹は両親を道連れに無理心中してしまう。狂乱するダニー。なだめるクリスチャン。

数日が経過し、クリスチャンの友人のパーティーにダニーは同行する。そこで知る、スウェーデン旅行の予定。自分は何も知らされていないことに激怒するダニー。当然の怒りだが、クリスチャンがげんなりした様子をみせると「行くのはいいの、でもそのことを言ってほしかっただけなの」と下手に出る。

クリスチャンはダニーに君も来るかと誘ってしまったと男友達に打ち明ける。「多分こないと思うけど、一応誘わないと、あ、誘うって言い出したのは君たちだってことにして」というクリスチャン。結局、ダニーは彼らと一緒にスウェーデンに行くことになる。

彼らを招待したスウェーデンが地元のペレ。各地の独自のお祭りを論文のテーマとしているジョシュ、お調子者で感じの悪いマーク、クリスチャン、ダニーの一行は、90年に一度の夏至のお祭りをするというホルガ村に到着する。

白い可愛い装束に身を包んだ人々、緑の豊かな土地、おだやかな共同体。そこには個人の家はなく、年齢と性別でわけられた生活空間と役割があるコミューンだった。

0~17歳の子ども期、18歳~54歳の旅人期、54歳~72歳の指導期(ウロ覚え)。旅人期の間、村の人々は外に出て学び、やがてこの村に帰ってくる。

村にはイギリスから来たサイモンとコニーもいた。

その日はダニーの誕生日だったが、クリスチャンはすっかり忘れていた。似顔をプレゼントしてくれるペレ。「時差とかでわからなくなってるんだと思う、気にしない」とダニー。クリスチャンは間に合わせの誕生日ケーキを用意してくれる。

ホルガ村の独自の慣習に従ってすごす一行。祭事の一日目の朝、彼らは72歳を迎えた村人が次なる命につなぐために自ら崖から落ちる儀式を目にする。動揺し、すぐに帰ると騒ぎ立てるサイモンとコニー。動揺はするが、これを忌むべきものとするのは彼らの文化への侮辱だとする研究者のジョシュとクリスチャン(マークは腹痛で居合わせなかった)

村に戻ると(翌日だったかも)コニーが騒いでいた。帰るための車に乗って、サイモンだけが先に村を出たと告げられたのだった。コニーを落ち着かせて連れていく村人。

動揺するダニーを、村の人たちは食事の支度をする女たちのもとへと連れていき、一緒に食事作りを手伝わせる。

一方で、村の娘にあきらかに好意を示されるマークとクリスチャン。調子に乗ったマークは食事の最中に娘の誘いにのって席をはずす。

先祖が宿るとされているご神木におしっこをして激怒されたマーク、研究することは許可されたけれど、写真に撮ることは固く禁じられた聖典を夜中にこっそり写真に撮ったジョシュが次々といなくなる。

ダニーは村の娘たちのダンス競技に参加する。最後まで倒れずに踊り続けることができた娘がメイクイーンとなる。優勝するダニー。御輿に乗り、花の馬車に乗り、儀式へと向かう。

クリスチャンは好意を寄せられた娘の手引きに従ってまた違う儀式に参加してしまう。村の年長の女たちに見守られながらするセックスの儀式。

ダニーはそれを覗き見てしまう。号泣し嗚咽するダニーに同調して泣き叫ぶ村の女たち。

意識を失ったクリスチャンが気づくと、声も出せず、体も動かせない状態になっていた。中央には祀り上げられたメイクイーンのダニーがいる。夏至のお祭りには9人の贄を捧げるという村人。4人は外から(サイモン、コニー、ジョシュ、マーク)、4人は中から(儀式で飛び降りた老夫婦、志願者の2人)、残りの一人は、志願した村人にするか、クリスチャンにするか、メイクイーンが選ぶと告げられる。ダニーが選んだのはクリスチャンだった。

熊の生皮を着させられるクリスチャン。村の一番奥にある黄色い三角の小屋に、サイモン、コニー、ジョシュ、マークがそれぞれ意匠をほどこされて運び込まれる。老夫婦の死体、中央に熊をかぶったクリスチャン、脇に志願者の村人2人。

やがて小屋に火がはなたれ、痛みも恐怖も感じないという薬を舐めた志願者の2人も痛みと恐怖で叫びだす。共鳴して一緒に泣き叫びだす村人たち。ダニーは、燃え盛る小屋をみて泣き叫びながら、そっと微笑んだEND

 

感想

いやーーー。ものすごく嫌な感じだった!!とにかく前半のダニーとクリスチャンの男友達の感じがしんどくてしんどくて、でも、じゃあ、最後のあれで「ざまあみろ」とかスッキリとかするかというと、私はしなかったので、嫌な感じだったとしか言いようがない。

あれが救済の一種なのはわかる。すごくわかる。理屈としてわかる。共感や共鳴は人を救うし、あの社会の中であれで問題がないなら問題はないのだ。わかる。

でも、やーーだーーーー。

メイクイーンを決めるダンスで、くるくる回っているうちに楽しくなってきて、私残ってる!!ってクリスチャンをみたらクリスチャンは他の人をみていたときのダニーとか、ほんと、そういう瞬間に心は死ぬよね、という、そういうリアルな感情の「嫌さ」が終始つきまとっていた。

クリスチャンもしんどいよなー。男友達に対するあの言い訳の数々。でもダニーにも冷たくはしない(無意識に大事にしていない感じは出ちゃう)。薬盛られてあそこの血を飲まされて見られながらセックスして、生きたまま熊の生皮の中で焼かれて死ぬんだよ。そこまでの悪行か?と思っちゃうのはミソジニーに私の脳が侵されているからか???

あと、BGMも気持ちを不安定にさせる!!きちい!!