kotoko’s blog

映画や本の感想。「内容」にはオチまで書きます。

おそ松さんon STAGE~SIX MEN'S SHOW TIME 3~

アニメ1期はみていたし、舞台も最初の作品はみたけれど、それだけだった松ステ、お友だちが誘ってくださったので行ってきました。

以前と同じく、オムニバス形式のコントをたくさんみる形。色んな毛色のコントをやっていて、単純に、ほんっとーーーに単純に全然飽きない。ずっと楽しい。6つ子パートとF6パートが交互にくるのもいいし、これはもう舞台の最初からそうだけど、トト子ちゃんが良い。演じている女優さんが変わっても良いままだった。可愛くて、振り切れてて、動きがきれい。最高。

 

あと、6つ子ちゃんとF6たちの衣装が良くて、同じような日常パートをやっているのに毎度違う衣装になってくる姿は可愛かった。6つ子たちは、ほぼ同じ衣装だけど各人で着こなし方やパンツのラインが違うという面白さで、F6はゴージャスな衣装をバンバン変えてくる面白さ。ジャニーズとかAKBとか欅坂とかグループアイドルの楽しさのひとつって、衣装のお揃い感と個性のせめぎあいみたいなところだと思ってるんだけど、それがここにはありました。(F6のカツラは安っぽい)(なんでなの)

 

相変わらずの面白舞台。

 

だったんだけど。ただ、観ている私のほうが「相変わらず」ではなかった。あのころとは面白がれるレンジが変わってしまった。正直、ブサイク、童貞、無職、女の子の扱い、それら全部に「う」と引っかかってしまうところがある。そんなものをこの作品に対して気にするのは野暮ってもんだよという気持ちもあるので押し殺して楽しんだけれど、でも「う」となる部分があることは否めない。

道行く女の子たちをずりネタにしていたと語るおそ松兄さんに引いてしまう。女性を性の対象としてしかみていない未熟さを笑うシーンだったとしても、やっぱり「う」とはなる。そしてなにより、6つ子が並んでステージの上で生尻を出して女性9割の客席が沸いているのをみながら、これがもしも「若手女優が並んで胸元なりお尻なりを出して、それを男性客が大うけで観ていたとしたら問題視されるのでは?」と思ってしまった。

 

なんかお笑いの面白さの質が激変したって、特にM-1あたりで言われていたと思うんですけど、私の中の感性もすっごく変化したなと感じています。松ステはどこまでこのノリでいけるんでしょうね。いじりといじめの境界はあるのか、やられている本人が良ければいい、という倫理観でいいのか、というところに結びついていく話だと思うのですが、時代の出している答えはNOなので、これからの変質はみてみたいな、と思っています。

 

まぁでも、このままいくと笑いは萩本欽一的になっていくのでは、という文言をみたときゾッとしたのでそうはならないでほしいんだけどなーーー。

ヒプノシスマイク

観てきました。いちまんはっせんえん@ステラボール

 

2.5と呼ばれる舞台を好んで見る者としておたしなみ的に行ったので、強火のファンの方には申し訳ない。

グッズこみこみでの強気値段設定は、若い子は来られないのでは……という余計な心配をしつつ、新しい試みはどんどんしたら良いと思うタチなので、賛同。値段を高くすることで客層を担保できるのか、あらゆる手段で何度も観劇する人をある程度けん制して初見さんを増やすことができるのか、という実験になったんじゃないかと個人的に思ってます。どうだったんですかね。観ている感じでは治安は良かったように思うんですけれども(年齢層が高かったとも言う)。

お値段設定に関してはこちらのnoteが面白かったので興味のある方はご一読を。

https://note.com/dosankotv/n/nbbe9bb3361ca

私は好きなアニメや舞台であってもパンフ以外のグッズいらない派(生写真は役者さん応援の意味をこめて買うこともある)なので、18000円は経験代として支払ました。ブブセラ(?)以外のグッズは後日ヒプマイファンの子にあげてしまった。

 

ヒプマイは基本のチームと構成員を把握して代表曲をそれぞれ聴いたことがある程度のうっすいうっすい知識だけなので、キャラの再現性云々はちょっとわからず。ただ、舞台オリキャラらしき赤羽ディビジョンが一番ラップもダンスもお上手にみえました。世界観的にも、舞台の観劇の手ごたえとしても、上手いは強いなので、ごにょごにょ。

アンサンブルの人たちがとにかくうまくて、もっと踊ってみせてくれ~~って感じだったのですが、ファンの人には「いや、私の知ってる子たちの姿をもっとみていたかったですよ」と言われて、そらそーだ、となりました。

 

物語は、ありがちというかなんというか。昔の友人がヨーマイメーン、お兄ちゃんが大事だぜーみたいな話でした。覚悟していたほどつまらないものではなかったけど、感動するほと面白いものでもなかった、という。そして知らないながらにうっすらと贔屓にしていたヨコハマの銃兎ちゃんがそりゃあもう美人で不器用そうで良かったのでお写真買って帰るという清く正しい2.5次元な感じになりました。なんか、サバトへの執着というか、すっごい良いシーンがあったんですよ……。

 

2分のライブパートはやっぱり知ってる曲(ヒプマイのメインテーマみたいなやつ)がかかると、めっちゃあがりますね。ペンは剣よりヒプノシスマイク!!

 

そして。今回のなんといっても素晴らしかったところは。音。音と映像演出の良さ。ハイステ初見の時以来の「か~~~っこよ~~~!!!!!」という鳥肌が立ちました。ステラボールはそもそもライブハウスなので、重低音がめっちゃ良い。ラップにあってる。腹にくる。んでもって映像演出が良い。壁面を画面として扱う舞台は多々あれど、あんなにも音ハメ完璧な映像を壁面いっぱいに出されるとトリップできてしまう。私は二階席だったので、途中自分の足元めがけて舞台からレーザーが照射されたのですが、その浮遊感というか、雲海を見下ろすみたいな不思議な感覚は最高でした。

 

ただひとつ残念なのは、グッズにあの光るリングが入ってないこと。あ、それは、別で買わないといけないやつなのかーとわかった時の悲しみ。

チケット+パンフ+光るリングで15000円だったら文句ナシだったんだけどなーー。

物販にしちゃうと数が読み切れないものがあるから(キャパ的に”全員が買う”前提にしないと採算ラインに乗らなかったのかもしれない)商売としてその冒険な判断は是なんですけどね、個人的には。あ、また結局お値段の話をしてしまった。せずにはいられなかった。

ヒプステの話をするときには必ずこの金額の話がセットになってしまうというのが「それは舞台の感想なのか」という感じで(いや感想なんですけれども)惜しい気がします。

 

舞台の映像演出と音はこれまで経験したことがないくらい最高にかっこよかったよ!!!ということでしめておきたい。ステラボールを上手に使えたで賞です。

 音楽劇ロードエルメロイの事件簿

原作は未読。アニメシリーズは一通り視聴。

Fate作品ミリしらの夫と、Fateシリーズはアニメ、ゲーム一通り履修済みの友人と観に行ってきた。ミリしらだとあまりにも訳の分からない設定だらけになるけれど、と言って全てを説明するにはあまりにも広大なFate世界なので、サーヴァントとマスターという関係と、エルメロイはかつてウェイバーくんで、過去、自分の先生の聖遺物を盗んで聖杯戦争に参加していて、その時に召喚したサーヴァントがイスカンダル王だったということ、今回の話は聖杯戦争には関係ないと思われるということ、そして、このロードエルメロイシリーズは、魔術師がいる(魔術が使われた犯行を魔術で解決する)世界だから通常のミステリ作品的な推理は意味がないと思う旨だけを劇場に向かう道中に簡単に説明をした。

 

とっても面白かった。

 

物語的な話をするならば、やっぱりzero履修者としては、ウェイバーの心に根付いているイスカンダル王のシーンだけで泣けてしまう。全ては“自分をマスターに選んだイスカンダル王は正しかった”ということを証明するために、という時の、実体のないマントだけのイスカンダル王の演出。

あと、上述のミステリ部分の「魔術師が関わっている以上、フーダニットとハウダニットには意味がない、が、ホワイダニットは推理できる」という主旨のことをエルメロイが言った時には、膝を打った。

 

そして肝要なのは、それらが全てミリしらの夫にもちゃんと理解できたということ。

ホワイダニットを理解するにはFate世界の魔術師たちの血縁最強の由縁となっている魔術刻印という概念を理解しないといけないのだけれど、ちゃんとわかるようになっていた。

(ただまぁやっぱりエルメロイが抱くイスカンダル王への思いみたいなものは道中に私たちが説明した言葉以上のことを知らないので思い入れの抱きようもないので、ただそういうものとして受け取ることしかできなかったと言っていたけれど)

エルメロイがケイネス先生に申し訳ないと思っていることも、妹からロードエルメロイ2世を名乗れと言われるシーンが入っていることで表現できていて、それもとても良かった。

このへんに関しては、どこまで原作にあったシーンだかわからないので舞台特有と言えるかどうかはわからないのだけれど、でも「今回の舞台だけを初めてみた人にもわかる」というのは大切なことだと思うので、そのへんが不自然ではない形で理解できるようになっていたのはすごくすごく良かったと思う。

(もしかしたら終演後のご飯の時には大解説祭りを開催しないといけないかもしれないと思っていたからなおさら) 

 

あと、なんと言っても全員お歌がうまい。歌のうまさは説得力。特に主演のロードエルメロイの歌は圧巻。ただ、なぜか歌になると歌詞が聞き取りづらくなるのが不思議だった。後日音域が高すぎるのではないかという感想をツイッターでみてなるほどなと納得した。

 

魔法の表現も面白かった。紗幕に映し出される系の表現は、正面に座っている人以外にはちゃんと見えない(人物と映像の位置がずれる)のであまり好きではないんだけれど、手品的な要素があったり、小道具が光ったり、わ、今の何だわからなかったぞ、というものもあって、すごく楽しめた。

 

衣装と舞台装置も良かった。良かったづくめですね。でも本当に美しくて素敵だった。巨大な舞台装置が半具象で作られていて回転するのをみるとテンションがあがる。(魍魎の筺のような完全抽象も良いけどあれは稀有な成功例だと思う)

 

2019年の年末、そんなに期待していなかった舞台が面白いというのは幸せなことでした。

かきもらしメモ

HIGH&LOW THE WORST

『ザワ』はもちろん初日に行った。ぬるいハイローオタなので。2回目ももう行った。なのに感想を書いていない。観終わるとなんかわあー!!って感じになっていて何も言語化できないのです。時間の経過と共にツイッターに吐き出すようになるんだけど、それによって吐き出し欲が満たされるのでここに書かないという。

私はドラマの時から轟を推してるんだからぁ!みたいな気持ちにちょっとなってしまうことをここに告白いたしますが、美しいものは美しいから仕方ないよね。あと観終わってツイッターみたらみんなが小田島有剣のことを言っていて「やっぱり」ってなりました。あのちょっとだらしない服装、ゆがんだ姿勢、金髪、チェーン付のサングラス、ハーフアップ、「毎度、殺し屋鳳仙だす」何をとっても最高。

(関係ないけど友人が「小田島有剣にぐっときたあと自然に相手を探すじゃないですか」と言っていて、ああ、そういえばそうだったなぁ、などと思う今や腐の心を失った私は思いました)

ハイローはこれまでずっと物語の構成が雑で、それでも余りあるかっこいいシーンとキャラクターで力技でハートを鷲掴んできたんだけど、今回はなんと物語もきちんとしているので極まってしまった感があります。

でもやっぱり心に残るのはシーンのかっこよさなんだよなぁ。映画の始まり方がとにかく上手だと思うんだけど、あのベンベケベンベケベンベケベンベケと地下鉄からわらわら降りてくる坊主集団、あれだけで最高の気持ちになりませんか。そしてたたみかけるようにオロチ兄弟が自転車に横蹴りくらわせたりして、はーーー、最高。

JOKER

『ジョーカー』もみた。これこそ人に毒される前に自分の言葉で感想を残すべき映画なのに。ばかばか、私の馬鹿。私は素直というか阿呆なので、追い詰められていくアーサーが一人ぼっちになっていくのをみながら「でもでも彼には彼女がいるから」って思っちゃってまんまと「わああああいいいいなあああああいいいいいいいいい」ってなった組だし、最後の診察シーンみながら「え?ここまで全部アーサーが語ったこと?え??」ってきょとんとしたまま映画館を出てきたので、信用できない語り部にまんまと転がされました。多分制作側が想定したど真ん中な素直オーディエンスです。

映画の公開直後には「ジョーカーに引きずられる環境、心境の人が必ずいる、危険だ」って感想をよく目にしていたのが、やがて「ジョーカーは信用できない語り部だよ」になり「この程度のもので観客が狂うものか」みたいに変化してきたので、本当に自分の感想を大切にするためには見た直後に記すことが大事だと心に刻みました。刻んだうえで放置した。

私はアーサーがつらいしんどい目にあうたびに「早く、早く目覚めて何もかもをぶっ壊してくれ全員ぶち殺してくれ」って思ってみていたので、アーサーに共感して闇堕ちする人も出るのじゃないかと心配した層です。

帝一の国

あと『帝一の国』をみた。なるほど面白かった。千葉雄大がちょびっとだけふっくらというかぷにぷにしていて、妖艶さが極んだのはこの直後くらいですかね?という幼さを秘めていて尊かったです。菅田将暉は楽しそうに芝居をするなぁ。

自分の加齢のせいだとも思うんですが、ずっと若手俳優だと思っていた人たちが気づいたらなんかしっかり大人になっていることが多い昨今です。直近で言うと『火村英生の事件簿』の斎藤工窪田正孝が思いのほか前作の時よりも大人になっていてヒェっとなりました。そして逆に『時効警察』のキャスト陣が全員前作から変化していないように見えるのがすごいこわいすごい。(関係ないけど時効警察の「誰にも言いませんよカード」って最高に優しいですよね。優しくて面白くて良いドラマだなって思います)

俳優や女優の若さが最も美しく輝く瞬間を切り取った作品というのがこの世にはあると思っていて、それは例えば『クローズ』の小栗旬とか『レッドレイン』の登坂広臣とか『インタビューウィズバンパイア』とか『マイオウンプライベートアイダホ』だと思っているんですけれども、この竹内涼真はかなり切り取られているのでは……と思いました。千葉くんはぷにぷにしている(2度目の主張)。千葉雄大は、なんか華道のドラマの時のドSが狂気を帯びて美しく面白いので是非みなさん配信サイトでご覧になると良いですよ。

アド・アストラ

内容

伝説的な宇宙飛行士の父親をもつロイはいつでも心拍数が80を超えることがない、強靭な精神を持つ軍人で、軌道衛星(?)の施設で働いている。大切なのは「重要なこと以外に必要以上の関心や感情を持たない事」。そうして彼は出ていく妻さえも深追いすることなく生きていた。あるとき、強烈なサージが地球を襲う。屋外作業をしていたロイも落下するが、持ち前の冷静さで落下中も管制に連絡を取り、姿勢を制御し、パラシュートを開き、そのパラシュートに落下物が当たって破れてもなんとか生還する。

生還したロイに、軍は地球を発った父親のリマ計画の反物質が先日のサージに関わっていることが予想されるため、火星にいって海王星付近にいる父親にメッセージを発信するようにという極秘の特別指令を出す。

自称監視係で元父の同僚であるプルーイットと共にまずは月に向かうロイ。しかし月は採掘資源を巡る紛争地帯となっており、共に火星に行くはずの護衛もプルーイットも失ってしまう。ロイは1人、火星を目指す宇宙船ケフェウスに同情する。

道中SOSを受信したケフェウス。無視することをロイは進言するが、船長は宇宙船の義務だからと発信している宇宙船に向かう。行ってみると、その中では実験動物(大きな猿?)が乗員たちを殺しており、船長も襲われてしまう。ロイはなんとか船長を伴ってケフェウスに戻るが、船長は命を落とす。

ケフェウスが火星に到着しようとする瞬間、ふたたびサージが起き、船が故障してしまう。着陸態勢に入っていたためロイは手動での着陸を船長代理に指示するが、怖気づいた代理は動けず、ロイの手によってケフェウスは着陸する。

ロイたちを出迎えたのは火星生まれの司令官ヘレンだった。ロイはそこで海王星付近にいる父へのメッセージを録音する。録音の内容は軍によって用意されていたが、2度目の録音の際、ロイはかつての自分は憧れの父親のようになるために、どんな時でも感情をコントロールできるようになったことなどを思い出し、自分の感情で自分の言葉で父に語りかけ、それによってその役割を降ろされてしまう。

ヘレンはロイに「自分の両親はリマ計画に参加していた」と告げる。そしてロイの父親からの極秘のメッセージをロイに見せる。そこには、反乱が起きたために一部区画の生命維持装置を停止したこと、そこには無実の人々も含まれていたことが語られていた。ヘレンは自分の両親もまたこれによって殺害されたと告げる。

ケフェウスが核兵器を搭載して海王星へと向かおうとしている、ロイは任務をはずされたがそれに乗り込み海王星に行くべきだ、と告げるヘレン。ヘレンの協力でロイはケフェウスに潜り込むことに成功する。が、そこで乗組員たちと争いになり、ロイは全員を殺してしまう。

海王星に到着したロイは、リマ計画のステーションで父親に再会する。父親は、反乱でステーションの反物質装置が暴走してサージが起きていること、1人でどうにかしようとしていたことを告げる。ロイはケフェウスで運んできた核兵器をセットし、父親と共に脱出するが、父親はロイとつないでいたケーブルを切り離し、宇宙の藻屑となることを望む。

ロイは核爆発の力を利用してケフェウスを発信させ、地球へと帰還する。父親のたどり着いた結論は、太陽系のどこにも知的生命体は存在しない、というものだった。生還したロイの目に、去っていったはずの元妻がうつり、ロイは涙する。

 

感想

おっもい!いま内容を思い出しながら書いていたら、なんかすっごい良い話だったんだなという気持ちになってきたけれど、とにかくテンポが重たくて、全ての「間」がふんだんなので気絶しそうになってしまった。ブラピのまつ毛、濃いなーーーとか、年取ったなーーー、とか、そういうことを考え始めてしまう。

あと、ロイを逃がしたヘレンの処分が心配です。

しかし、たったひとりで広大な宇宙を目の前にしてステーションでサージをどうにかしようと奮闘する父親も、そこから一種の絶望と共に帰還するロイも、その「宇宙」という孤独と対峙するのすごいなー。

その壮絶な孤独に対峙したロイが最後「人として大切なものはなにか」みたいな結論として愛というか妻というか、そういうところに辿り着くのがまったく好みではなかったな。そうなんだろうけどさ!わかるけどさ!犬とか……

誰も知らない

実際の事件を元に是枝監督が作った映画、という知識はある状態で鑑賞。

内容

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AA%B0%E3%82%82%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84

オチまでちゃんと書いてあった。

 

感想

YOUのことをどこか憎めないのがすごい。子供たちが母親を慕うのがものすごくよくわかる。でも無責任で、子どもたちを憎んでいるわけじゃないことはわかるけど、自己中心的な母親にぴったりだ。天才的な配役。そしてアキラの一生懸命な、そりゃあイヤにもなっちゃうよな、というひたむきさ。

誰か、誰かこの子たちを助けてあげてくれーと叫びたくなる。大家さんが来た時、わー通報されちゃう、この子たち、バラバラになっちゃう、とハラハラしつつ、でもちょっとホッとしたのに、大家さんは何もしなかった。絶対に「なんかへん」って思ったはずなのに。

途中コンビニのバイトの女の子が「福祉団体とかに連絡しなよ」とアドバイスしてくれるのを、アキラが「前にそれで4人バラバラになっちゃって大変だったから」と断るあたりがものすごくリアルだった。そして、それっきり、そういうことを言わなくなるというのが。

コンビニバイトの半大人たちは、代替わりをしても親切で、男の子になってからは廃棄のオニギリをくれたりもしたけど、そういう親切は本当に表層的というか、いや、それであの子たちは命を繋いだんだから親切な人が誰もいないよりずっとずっといいんだけど、でも、保護にはつながらないというのがしんどかった。

今は、この映画がつくられた頃よりは福祉とか児童の保護とかの意識が高まっているよな、と肌で感じている。そうであってほしい。ありきたりな感想だけど、アレ?と思うことがあったら関われるような生き方をしよう……。

 

見終わってから、モデルとなった実在の事件はどうなったのかを調べたら、映画はこれでもマイルドにしてあったんだな、と打ちのめされた。そこに書かれていた「長男が今どこでどうしているかは不明」というのが忘れられない。この過去を乗り越えてどこかで普通に生きていてほしいな。

散歩する侵略者

内容

ある日、道路をフラフラと歩いていたところを保護された加瀬真治。妻の成美は迎えに来たが、二人の関係はとっくに破綻していると告げ、一人では歩くこともままならず、あらゆる認識がおかしな真治にウンザリしてみせる。が、そんな状態の真治を放置しておくわけにもいかず、自宅に連れ帰る。浮気のことなどを責め立てられた真治だったが、特に悪びれることもなく成美に「ガイドになってよ」と頼む。

一方、フリーのジャーナリストの桜井は一家バラバラ事件の唯一の生き残りである立花あきらのことを調べている最中に不思議な少年「天野」に出会う。天野は自分は宇宙人であると名乗り、桜井にガイドになってくれと告げ、立花あきらを一緒に探そうと誘う。

成美の家に家出をしてきた成美の妹が来る。色々な言動がおかしくなっている真治に、妹は自分は義理の妹にあたるということ、ひっくるめて家族であることを説明すると、真治は「それちょうだい」と告げ、成美の額に人差し指で触る。触られた成美は崩れ落ち「家族」という概念を失ってしまう。

成美は自宅でフリーのデザイナーをしているが、打ち合わせのために出かけた際に発注元のデザイン会社の社長からセクハラまがいの誘いを受けるが断る。

留守番をしていた真治は、近所を散歩してある家の前で一人の青年に出会う。そこで真治は「所有する」という概念を青年からもらう。

一方、桜井は天野の宇宙人であるという言葉や概念を奪うという言葉、最終的に侵略するのが目的だという言葉に懐疑的だったが、ある時目の前で概念が奪われる様を目撃し、天野が宇宙人であることを信じ始める。

バラバラ事件の唯一の生き残りである少女立花あきらは、警察の監視の下、病院に軟禁されていた。天野と桜井はそのことを知り、立花あきらを連れ出す。立花は、最初間違えて金魚に入ってしまい、その後入った先のおばさんの内臓を取り出してよく見ていたら動けなくなってしまい、そこにちょうど帰ってきた娘に入ったらうまくいった、と告げる。

ジャーナリストとして自分の体験をルポにして売ろうと、桜井は出版社にかけあうが当然真面目には受け取られない。しかし数日後、桜井の元に厚生労働省からきたと名乗る男が現れ、立花あきらは新種のウイルスに感染している旨を告げ、接触があったら連絡するようにとGPSを渡される。

成美は取引先のデザイン会社で、提出したデザインにいわれのない非難を受ける。そこに真治が現れ、成美を苦しめるのは「仕事」ってやつだろ、と、セクハラ社長から「仕事」の概念を奪ってしまう。そのまま立ち去る2人。街中はなぜかどこか物騒で騒然とした空気に覆われていた。

桜井は道端で演説している青年をみかける。所有の概念を失った青年は、道行く人々に世界平和を訴えていた。そこに通りかかる真治と成美。3人の様子をみた桜井は、天野と立花あきらが探している3人目は真治であると察知し、二人に報告する。

天野と立花あきらは、通信機を作成していた。3人が合流し、「人類」を理解するに値するだけの概念を集め終わったら、その通信機で連絡し、侵略が始まるというのだった。俺も死ぬのか、と聞く桜井に、天野は「サンプルとして数人残すだろうから、桜井さんは残そうか?」と答えるが、桜井はそれを断る。

ある日、立花は職務質問してきた警察官のことを奪った拳銃で射殺してしまう。桜井は焦るが、天野の不思議な魅力に心惹かれていることもあり、どうすることもできず2人に協力して自動車で逃亡しながらの生活が始まる。

真治のみせる素朴で素直な面に、だんだんと冷え切っていた心が変化していく成美。そこに病院から「真治は新種のウイルスにかかっている」と電話がかかってくる。宇宙人じゃなくてウイルスだったのね、と真治を病院に連れていく成美。しかし病院は「何かおかしい」人々で混乱していた。担当医は2人をすぐに別室に案内しようとするが、不穏なものを感じ取った成美は真治の手を引き自宅へと帰る。自宅に到着すると、家の前には不審な男がうろついていた。桜井である。

成美と真治の2人に、自分もガイドであると告げる桜井。そして成美に、真治を決して天野と立花に会わせてはいけないと言う。3人が出会う時が侵略の始まりになる、と。できるだけ遠くに逃げろ、と告げる桜井。最初からそのつもりだった成美は、荷物をまとめて真治と出発する。

桜井、天野、立花の車の周囲に不審な男たちがまた現れる。2人をまたしても殺害する立花。桜井がかつて現れた厚生労働省の男に持たされていたGPSは、オンオフが可能とのことだったが、オフなどできなかったことがわかる。騙されていたことに苛立つ桜井。

ショッピングセンターの駐車場で、逃げる2人と3人は出会ってしまう。車で逃げようとする成美と真治。その前に飛び出す立花あきらを轢いてしまう。「人間じゃないし、いいよ」と真治にいわれ、成美は車を発進させる。立花あきらは他の人間に入ることもできず、そのまま死んでしまう。ついに宇宙人3人が対面してしまったことに焦った桜井はその場にいる人々に今人類が直面している危機を告げ、行動を促すが誰も動かない。そりゃそうだよな、と桜井もそのことを受け入れ「前に言ってたサンプル、あれ、立候補するわ」と、再び天野と共に動き始める。

通信機器を起動して人類侵略の開始をさせようとする天野と桜井は、ついに追い詰められる。天野は全身に銃弾を受け、攻撃してきた人々を返り討ちにするが動けなくなってしまう。自分の体に入れ、と告げる桜井。そしてついに通信機が起動する。

最後の時がきたことを知る成美と真治。成美は、このまま人類が滅亡したら人類の持つ愛を知られないままになってしまう、と、真治に自分の愛の概念を渡す。衝撃を受ける真治。何も変わらない気がする、という成美。2人は浜辺で侵略が始まるのを眺めていた。一方、通信機を起動した桜井は人間の爆撃機によって倒れる。

二か月後。

人類は生き残っており、医療施設でおかしくなった人々を治療していた。そこを手伝っている真治。成美も生きているが、何かを失ってしまっていた。「ずっとそばにいるよ」と真治は成美に告げる。おわり。

感想

うーん、微妙。侵略を目的としている地球外生物が人間の体をのっとって、知識を吸収するところから始める感じ、寄生獣という素晴らしい作品があるから、そこを超える何かがほしいんだけど、さまざまなことで上回らなかったなー。

ただ「それでも真治が愛おしくなってくる成美」と「最終的に天野に手を貸すけど途中人類のために止めようともする、けど、な桜井」がすごく良かった。特に桜井は面白かった。演説を始めちゃうとこも、その途中でお前らは何もしないよな、とあきらめるところも、その後のやっぱサンプルにしてよ、も。寄生獣にも人間のまま協力する市長が出てくるけど、桜井はもう少し人間みがあるというか、揺らぐ感じがすごく良かった。

途中の病院にいっぱいいた感染者みたいな人たちがなんなのかが気になった。最後のほうで「治療方法が見つかったのよ」みたいなことも言っていたし。あれはなんなんだ。概念を奪う以外になにか彼らにできることがあったのか。侵略GOスイッチを押す前だからあれが侵略の方法ってことでもなさそうだし。そこは激しく納得がいっていない。

概念を奪うっていうのは面白い設定だな、と思ったんだけど、なんかこー、真治のあまりに何も知らない感じと、でも前の人間の記憶は持ってるんだ??というのが理屈が欲しかったところかな。

侵略を防げない、というのは好みなので、その後を描くならもうちょっとちゃんと『その後の社会」を描いてほしかったな。なんだかんだで人間はしぶといとか、愛を知った真治は人間側についた、とか、そういうのはいらなかった。

侵略開始シーンの謎の赤い明かりが飛んでくるシーンはチープで笑ってしまいました。

あと、前田敦子のほうが満島真之介より芝居がうまい。